私たちは「おいしさ」を、幸せを感じたり愛を感じることと同じように心で感じています。そしてその心は、ドキドキしている胸の中にあると思われがちですが、実は頭の中にあるのです。五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)から伝わった刺激は、情報として頭の中に集められます。その五感を大いに刺激する行為が「おいしく食べること」であり、取り入れる器官が「口」なのです。呆けないためには、よく噛んで味わって食べることが大切だといわれています。これは五感を最大限に使い、脳を働かせることになるからです。
お年寄りに「楽しみは何ですか?」と尋ねると、多くの人は「食べること」と答えます。なぜ、「食べること」はそんなに楽しみなことなのでしょうか。それは、空腹を満たすだけではなく、五感を通じて脳を刺激し、食べる雰囲気や一緒に食べる相手、食材、味覚などから得た情報をもとに、おいしい記憶や楽しい思い出を呼び起こしているからなのです。年を重ねるほど、若い人よりもより多くの思い出を持っているので、食べることにより幸福感も倍増するのです。老いてなお食にこだわり「おいしく食べる」ことは、人生そのものというわけです。
しかし、年をとったり障害を持つと、「食べる意欲がない」「噛めない」「飲み込めない」ことが起こりやすくなります。これらの問題を解決するためには、1.食べる環境を整える、2.口腔の健康を保つ、3.食べる機能の正常化を図ることが必要です。そして、この3つの要素がすべて整って「おいしく食べる」ことができるのです。今回は、「食べる環境」のお話を中心に市川文裕先生(市川歯科医院院長)に伺いました。

施設に入所したところ、何も食べなくなってしまったお年寄りがいました。心配した職員が、その人が家で使っていた「茶碗と箸」を持ってきたところ、食欲が戻ったそうです。まったく違った環境で不安を感じていた気持を「茶碗と箸」でなごませることができたのです。使い馴れた食器、落ち着ける色のカーテンやテーブルクロス、やさしい音楽、おいしそうな匂い、一緒に食べる人との触れ合いなど食べる雰囲気の整備は、見落としがちですが「食欲」と大いに関係しているのです。
また、年をとったり障害を持つと、神経や筋肉の麻痺により咀嚼(噛むこと)や嚥下(飲み込むこと)が難しくなることがあります。噛むことに問題があるのなら軟らかく調理したり、飲み込むことに問題があるのならトロミをつけるなど食形態の整備が必要になります。さらにおいしく食べるためには、食材の色、盛り付け方、温度にも配慮し、五感を刺激することも必要です。
さらに、食事介助で忘れてはならないことは、人は食べさせてもらうようになると、社会的に疎外されていると感じることです。介助する前に、まず、その人が自分でできることは何かを見極め、本人の最大限の能力を活用することが大切です。その上で、食べやすい道具や、食べさせ方、食べさせる姿勢など食介護の適正を工夫することも含めて、食べる環境を整備する必要があります。
味覚は五感の中でもおいしく食べるための重要な感覚です。舌や口内の粘膜にある味蕾(味覚細胞)が、食べ物が唾液に溶けたものを味として感じます。唾液が少なかったり、パサパサした物は味を感じにくくしてしまいます。さらにその細胞が食べ物のカスで覆われたり汚れたりすると、おいしさにも影響を与えます。口の中や入れ歯を清潔にすることは、おいしく食べるために欠かせないことなのです。またそれ以上に、歯や歯肉が健康でなければ噛むことはできません。常に健康を保つためは、かかりつけの歯科医に相談して、適切な治療(キュア)と口腔ケアの指導を受け、口腔の健康を心がけましょう。
しかし、食べる環境が改善されたり、口が清潔で噛めるようになっても、飲み込めないのでは食べられません。食べる機能の低下により、むせたり、咳込んだり、誤って食べ物が気管や肺に入って誤嚥性肺炎になってしまうこともあります。高齢になればなるほど肺炎で亡くなる人が多いのは、このようなことも一因なのです。食べる機能の正常を維持するには、食べたり飲み込んだりする機能をチェックして、衰えた機能をリハビリで回復し食べる環境を守ることが大切です。







いわき食介護研究会(高齢者や障害者のおいしく食べる環境を、職域を越えて研修する会)監修による
ラジオ体操のリズムに合わせた「おいしく食べるための食前体操」のビデオがあります。
いわき食介護研究会のホームページ http://www.e-taberu.com